剣士とは敢えて厳しさを求めるものだ。したがって、疲れ果てるほどの厳格な稽古は、剣道を始めとするあらゆる武道において決して欠くことのできない要素と言えるだろう。その目的は、技能を磨き、いかなる困難にも耐えうる身体と精神に鍛え上げることである。剣道を嗜む者の年中行事には、試合や昇段審査に加えて重要な稽古行事がいくつかある。そのうちの最も厳しいものの一つに真冬に行う「寒稽古」がある。寒稽古とは、自らを極限状態に追い込むため、一年で最も寒い時期に猛烈な訓練をするものである。なぜなら剣道を極める唯一の方法は、自身の安全地帯の境界線を完全否定することだからだ。
剣道で用いられるすべての過酷な稽古に共通して言えるのは、寒稽古の内容はほとんど狂気の域に達していることだ。氷点下の気温の中、剣士は床の冷たさで凍りつかないよう動き続けなければならない。体を温め、動き続けるために、彼らは切り返しや掛かり稽古を無限に繰り返し、打ち続けるのだ。剣士たちにとって寒稽古というのは、強さ、スタミナ、強靭な精神力、そして極めて重要である不屈の闘志を育てるため、打って打って打ち続けることに全力を尽くす時間なのである。
2020年1月26日から3日間、10カ国からやってきた15人の恐れ知らずの剣士が、終わりなき剣道修行の道を一歩前進するため、かつて会津藩と呼ばれていた福島に集結した。冬場の寒さは日本随一であることは言うまでもなく、福島は日本の歴史において最もストイックな武士文化が発展したことで知られている。つまり、寒稽古にはぴったりの場所と言えるだろう…。しかしながら記録的に暖かい今年の冬は、観測史上最低の積雪であるとの予測が報告されている。1月、2月ならば通常胸の高さまで雪が降り積もる会津若松に、今回は1粒の雪も見受けられなかった。遠方に見える山頂にさえほとんど雪がないのは不気味なほどで、予想外の状況にいささか戸惑いを覚えた。
とはいえ、福島に脈々と流れるサムライの本質に全身で浸り、本来の寒さを受けとめるという揺るぎない思いを胸にやってきた寒稽古参加者一団は、地球温暖化の危機的状況を明示するこの状況にくじけることはない。最初に訪れたのは、会津藩の若いサムライたちのために1803年に設立された藩校、日新館。当時、会津藩士の子弟は10歳になると日新館に入学し、領土を治め、守るために必要な学問を習得した。その範囲は医学、天文学、礼法、儒教、書法、そして当然武術が含まれていた。画期的な教育法を用いた日新館は、日本中におよそ300存在した同様の藩校の中でも最高峰として知られるようになった。会津の豊かな武士文化、会津藩士の名を知らしめた武士道のスタイル、そして言うまでもなく151年前の戊辰戦争で新政府軍の手によって落城したと誤解し、敵への抵抗と藩主への忠誠の最後の証として飯盛山で切腹した白虎隊の悲劇についての講義を受けるには日新館ほど最適な場所はないだろう。(https://samurai-spirit.com/samurai-spirit-tourism/story_01.html)
会津の伝統と我々が愛して止まない剣道の文化的ルーツを深く心に刻んだ寒稽古参加者一団は、伝統的な日新館の道場でまず4つの稽古に臨み、果たして完全燃焼し清々しい思いで宿へ向かうバスに乗り込んだのだった。数百年前の日本では、武士が剣の鍛錬のために対決相手を求めて渡り歩く、武者修行と言われる風習があった。当初は、武士同士の決闘に勝利することで強靭な剣の達人としての名誉を得ることが目的であったが、江戸時代(1603年〜1868年)に入り平和な状態が長く続いたことで、日本の武道は黄金期を迎えることになる。また、防具や近代剣道の装備の出現により、対決は以前のような生死を賭けたものではなくなっていった。実際、国中を旅し、武者修行は他藩の武士と剣を交わすことで親交を深めるための大義名分となったようである。武者修行の武士は特別な客として迎えられ、激しく戦った後、道場の主人は食事と酒でもてなし、地元の温泉に案内することさえあったと言う。それはまさに今回我々が「会津東山温泉 原瀧」で受けたもてなしそのものではないか!この旅の初日を締めくくるのにこれ以上のものはないだろう。
寒稽古が極めて厳しいのは寒さだけが理由ではない。それは夜も明けきらぬ早朝に起きて、寝ぼけ眼で防具を担ぎ、期待と恐れの入り混じった気持ちで道場へと向かい、猛烈な稽古に臨むからでもある。6時15分、我々は、堂々とそびえる鶴ヶ城の麓にある会津武徳殿の見事な道場に足を踏み入れた。剣道発祥の地日本でも、これほど美しく、本格的な道場を見つけることは難しいだろう。1930年代に建立されたこの道場の非常に弾力がある木の床は、踏みこむ度に和太鼓が轟くような音が鳴り響く。それはまるで黒澤映画の決闘シーンで流れる感動的なBGMのように感じられた。
100年近くに渡って数多の剣士たちの溢れるエネルギーが染み込んだ道場の暗褐色の柱に見守られながら、寒稽古参加者一団は、神聖な道場を前に整列し、敬意を評してひざまずいた。そして、彼らの顔から立ち上る蒸気、激しく波打つ胸、終わったばかりの凄まじい対決とは全く対照的な平静と静穏がやがて彼らを優しく包み込んだ。その時、寒さを感じる者など一人もいない。
剣道の重要な概念に「残心」というものがある。文字通りの解釈は「途切れない心」、つまり、技を終えた後も注意を払い続け、警戒心を緩めることなく、最後までやり通すと言う意味である。それは、同時に対戦相手へ向けた最上級の敬意を示す行為でもある。寒稽古参加者一団が前日の講義で学んだ史跡のうちのいくつかを訪れたこともこの稽古の残心の行為と言えるだろう。なかでも、武士の本分を明らかにするため自刃した白虎隊の少年たちの墓碑は、参加者にとってこの旅のハイライトとなったことであろう。少年たちへの敬意の証しとして、彼らは自身の竹刀からほうきに手を持ち替え、墓碑にかかった落ち葉や土埃を払った。言葉では伝わりづらいことも、実際に体験することで深く理解することができる。時代や文化の異なる者同士が、剣道を通して「つながり」を感じることができたのだ。その後夕方に地元の剣道愛好会と共に、翌日は早朝から、2つの寒稽古に参加したのだが、白虎隊の墓碑で厳粛で深い想いにふけった後だけに、稽古の厳しさは幾分和らいだようであった。参加者たちが感じたのは、一年の中で最も寒い時期に厳しい稽古を死ぬ思いですることではなく、生きているそのものに感謝する意味を学ぶことであるに違いないと私は信じている。自分の安全地帯の領域を広げることができたのだから。
この旅を終えた寒稽古参加者一団は、肉体的に疲れきっているものの、心は溢れだすエネルギーと温かさに満ちていた。短い滞在ではあったが、この福島で私自身も日本の武術のルーツと剣道の尊い精神と哲学に対する感謝の念を再び深めることができたと感じている。100年の時を超えるなかで図らずも当時の街並みが残された大内宿にて食した美味しい高遠蕎麦でこの旅を締めくくった我々は、深夜に積もった雪の上を踏みしめながら帰途へ着いた。最後の最後で雪に出会えたのだ。これにてミッション完了。ありがとう、福島。