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白河

2018/06/05 更新

福島県滞在中、白河市を訪問しました。福島県の他の地域と同様に白河はサムライの歴史にあふれています。歴史的にこの地は未開拓の北へ向かう前の最終拠点とかつては考えられていました。北からの部族の侵入を防ぎ、敵を追放するための検問所として関所(白河の関)がありました。現在、白河市は東北地方の玄関口といわれています。また、*戊辰戦争(1868-1869)の間、官軍と佐幕派の間で激しい戦闘が繰り広げられた地でもありました。その城はほぼ完全に破壊され、明治維新のあとはその城跡も抹消されました。しかし、1991年に城は再建、今の白河城または小峰城となり、日本100名城のひとつといわれています。残念ながら、計画していただいた旅程により、その城を訪問することは叶いませんでした。

白河では、小さな茶室で私がお茶の準備をしている様子を撮影するために、翠楽園に連れて行っていただきました。そのあとで、だるまの人形が飾られた小さなお店に行きました。この地域はだるまが有名で、だるまをお祝いするお祭りも毎年行われています!だるま市と呼ばれるこのお祭りは主に駅前通りにそって催されます。このイベントは毎年日本の建国記念日である2月11日に開催。白河市の他の場所でもこの祭りを祝います。

だるま人形は中国に禅を紹介したとされる5世紀(または6世紀?)の僧、菩提達磨の姿を模したもの。彼は壁の前に9年間座りそのため手足が不自由になり、だるま人形にも手足がないのはそれに由来しています(そして目もありません。これはあとで説明します)。彼は少林寺で武術を発展させ(サムライスピリッツにもなんとなく関連しそうではないですか!)、また彼の瞼から茶の木が生まれたという話もあり私は彼に2重の意味で興味を惹かれるのです。(彼は座禅中に眠ってしまったことに憤怒して瞼を切り落としました。彼がそれらを地面に放り投げた時、その瞼から茶の木が芽をだし、のちにその飲み物は座禅中に仏道に励む人たちの眠気を払う刺激剤として機能しているといわれています!)

だるま人形は玩具ではありませんが、私たちの願いや目標成就を助けるお守りと考えられています。選挙期間中は、政治家たちがどんなことでもすると公約をうったえるなか、カメラの前に彼らが並べているだるま人形をよく目にします。私が初めて日本に来たとき、主に武道での昇段や試合に関して自分に課した目標の達成を助けてもらうことを期待して、私は律儀にもほぼ毎年だるま人形を買っていました。だるま人形の底には、精進したい武道の名前を書き、筆をつかって左に目を描きいれたものでした。だるまに目を描きいれることで、だるま人形が目標に向かう私たちの手助けをしてくれると考えられています。目標が成就されたら、右目を描きいれます。右目を描きいれ、そのあとで左という話も聞きますが、左から右という順番で間違いがないと私は思います。いずれにせよ、もう何年もだるま人形に目を描きいれることはしてきませんでしたが、たまたま昨年、頼まれて免税店でいくつかのだるま人形に目を描きいれました!その後、再び白河で訪れた店でだるまに遭遇したのです。ここでは目を描きいれることはしませんでしたが、それ以上のことを体験しました!その店では未完成のだるまが置かれていて、客が思い思いのデザインで楽しみながらだるま人形を完成させることができるのです。私は装飾的な模様を描きました。私はどう考えても芸術家肌ではないので、“装飾的な模様”という表現は適切ではないかもしれませんが。

だるま人形づくりの伝統は、寺が檀家たちにそれを推奨し始めた1700年代にまでさかのぼります。19世紀半ば、だるま人形はさらに有名になりました。抜け目ない商売感覚のひらめきで、だるま人形のご利益は1年限りなので、毎年新しく買い替える必要があると寺が示唆したのです。古いだるまを燃やすお祭りは日本のいたるところで催され、私が察するに、人々は同時に新しいだるまを購入するのでしょう!すべてが同じ日に行われるのか分かりませんが、私が最初に暮らした松本の女鳥羽川の横に積み上げられた使用済みの新年飾りの巨大な山を目にした記憶があります。日付に確信が持てませんが、1月15日ではないでしょうか?とにかく、それはまるで巨大なクリスマスツリーのようで、古いだるま人形で飾り付けられていたものでした。そして私は“使用済み”のだるまを川に持っていき、その“クリスマスツリー”のひとつに捧げました。後で、いわば宗教的な方法でそれらを送り出すための儀式とともにそれらに点火がされます。実をいうと、私は記念にいくつかのだるまを持っているのです!(そのご利益に反しないといいのですが)川の横の巨大な焚火はいつみても印象的な光景でした。様々なお寺で、野原でも似たような行事が行われているはずです。私が日本で暮らすために最初に来た時に見たものは赤色だったと記憶しています。もしかしたら白、金色かもしれませんが、赤色が強く印象に残っています。しかし、今日では定番の赤色から流行の色、鮮やかなピンクなど、どんな色でも、そして様々な大きさ、形のものが売られています!今では、お気に入りの心地よい椅子から動くことなく、アマゾンでも購入ができるはずです。伝統はつねに変わり続けるのです!!

だるまに関する言い習わしが日本にあります。「七転び八起き」つまり、7回転んで、8回起きあがるという意味です。それは、座禅に集中し続けようとする菩提達磨の回復力、注意力、そして強い決意を意味しているのです。再び立ち上がり、続けようとする意志、一種の決して負けないという姿勢。私の場合、それは私の人生のようなもの、というのもいつも失敗しているからです!もうひとつの興味深い事実は、日本語でスノーマンを意味する“雪だるま”という言葉です。会津若松で訪問した藩校の外で私は何年かぶりに雪だるまを作りました。

* 戊辰戦争についての詳しい記述はアレックス・ベネット博士の記事を参照してください。